「6年間英語を勉強して、一言も話せない」──これは、日本の教育制度の象徴的なエピソードではないでしょうか。
未だに日本の学校教育は、テストの点数や偏差値を重視する“詰め込み型”が主流です。「正解を早く出すこと」が評価される構造の中で、「なぜそう考えたのか?」「他にどんな視点があるか?」といった本質的な“学び”の楽しさや奥深さが、ことごとく置き去りにされている現状に、私は強い危機感を抱いています。
しかし、時代は大きく変わりました。
AIが日常的に使われる時代、知識を記憶することよりも「問いを立てる力」こそが求められています。なぜなら、問題解決はもはやAIの得意分野。検索すれば数秒で答えが出る時代に、「暗記すること」は価値を失いつつあります。
では、私たち人間に何ができるのか?
それは、“答えのない問い”を見つける力。すなわち、考察力・構想力・俯瞰力といった「問題設定力」こそが、人間の真の知性なのです。
教育の目的は、決して“正解の量産”ではなく、「自分の頭で考える人間を育てること」にあるはずです。
このまま「覚えることが偉い」「間違えないことが正しい」という旧来型の教育を続けていたら、AI時代のグローバル競争において、日本はますます取り残されていくことでしょう。
だからこそ、今、声を大にして言いたいのです。
“詰め込むな。問いを持て。”
子どもたちには、「何を知っているか」よりも「何を疑問に感じるか?」を問う教育を届けたい。そうでなければ、未来をつくる人材は育たない。
あなたは、どう思いますか?
